その1からのつづき
3.需要者の視点
「業」が成り立つためには、当然それを求める人がいなければならない。当たり前の話だが、農業社会は食料を求める人がいて、また、工業社会は工業製品を求める人がいて成り立つのだ。したがって情報社会も情報を求める人がいて初めて成り立つのである。
ところで、中国の管子に「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。私は情報社会とはそのような視点で定義しなければならないと考える。つまり本来は“情報”ではなく“礼節”とか“信仰”とかそういった概念や行為が求められる社会ではないのだろうか。このような考えはもちろん私がオリジナルではない(私にはそんな高尚なことを考える能力はありません)。このような考え方を示したのは、梅棹忠夫氏だ。梅棹忠夫氏は、情報社会と命名する前にその社会のことを外胚葉社会と定義した(「情報の文明学」)。外胚葉とは何か。梅棹氏は社会の進化を細胞分化の過程に準えて表現したのだ。細胞分化は初めに内胚葉が分化してやがて消化器官を形成し、その次に中胚葉が分化して筋肉や骨を形成する。そして最後に外胚葉が脳や感覚神経を形成する。内胚葉は消化器官だから食べることを意味する。一般には農産物が該当する。中胚葉は筋肉や骨であり安全の確保や効率的な活動を意味する。一般には工業製品(そしてサービス)が該当する。そして外胚葉は感覚神経だから、感性や精神的充足を意味する。一般には娯楽や自己研鑽が該当する。感性や精神的充足とは音楽や演劇、博物館での知識吸収、そして宗教までが含まれる。ここで“一般には”としたのは、製品で社会を色分けでしていないことだ。つまり外胚葉社会においては、工業製品であっても”外胚葉的”であるのだ。例えば、外肺葉社会において工業製品である自動車に求められるものは単にA地点からB地点までを移動するといった機能だけではない。デザインであるとか感性に訴える乗り心地だとか、ステータス性を求めるのである。高級果物の“あまおう”を買うのも単に栄養を摂取するためではない。また、外胚葉社会では、経済的合理主義は通用しない。梅棹氏の喩えに“お布施の論理”というものがある。すなわち、法事で支払われるお布施料は檀家の格とお坊さんの格の掛け算によって決まる、というものだ。同じお坊さんでも地主とか長年お墓を持っている檀家はそうでない檀家よりも高いお布施料を支払い、また、同じ檀家でも徳の高いお坊さんにはそうでないお坊さんよりも多くのお布施料を払う、という暗黙の慣習によって価格が決定されるというものだ。お布施よりも卑近な例では、趣味に投じるお金は合理的に説明できないことが挙げられるだろう。そこではコストに利益を積み増して価格が決定されるという工業社会の論理は通用しないのだ。 内胚葉⇒中胚葉⇒外胚葉というアナロジーは先の“衣食足りて....”とともにマズローの欲求5段階説も想起させる。つまり生存欲求や安全欲求がみたされて初めて高次の欲求を求めるというものだ(マズロー自身はそのような厳密な段階的経過を示したわけではないようだが)。その視点から今日を見ると社会は外胚葉社会にはいったと考えてもよさそうだ。しかし、梅棹氏は内胚葉、中胚葉、外胚葉社会は明確に区切れるものではなく複層的に存在するとしている。今日でも我々はコモディティ品についてはステータス性を求めるようなことはしない。あくまでも1円でも安いものを手に入れようとするだろう。趣味に大枚を支払う一方で日常生活にかける費用では工業社会の論理が依然として存在するというわけだ。 4.弊社が採用する“情報社会”の定義 梅棹氏がこのような考えを提示したのは1960年代だと思う。つまりダニエル・ベル氏とほぼ同時期なのだ。しかし、梅棹氏は社会学者でもなく(民俗学者)また、雑誌のコラムで述べただけで、そののちこの分野に本腰を入れて研究したわけでもないので氏の考えが広く普及することはなかった。結果としてダニエル・ベル氏やアルビン・トフラー氏、ピータ―・ドラッカー氏などが同様に唱える情報社会の定義とくらべれば遥かに知名度は低い。 弊社が“情報社会に向けた新しい技術を研究開発しお客様に提供する”というときの“情報社会”とはまさに梅棹氏の定義する外胚葉社会なのである。 その3につづく