一週間ほど前、コンピュータ科学者のダグラス・エンゲルバート氏が逝去した。氏は今日我々が手にしているパソコンのユーザインターフェースのほとんどすべてを開発したといっていい。開発したユーザインターフェースは次の通りだ。
①マウス
②ワープロソフトの原型
③ハイパーテキストの原型
④コードキーボード
④のコードキーボードとは手の各指に合わせて5つのキーが付いたマウスのような装置で左手で操作する。④だけは実用化されなかった。今日のパソコンにあってエンゲルバート氏の装置にないものはアイコンやマルチウインドウシステムくらいのものである(普通のキーボードやディスプレイはそれ以前からあった)。
氏がこれらの機器を携えて1968年に行ったデモンストレーションは”Mother of Demo(デモの母)”として今でも語り継がれている。Youtubeでみることができるので興味のある方はこちらをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=JfIgzSoTMOs
デモでは、ディスプレイとマウス、キーボード、左手用のキーボードに囲まれた若きエンゲルバートの姿が映し出されている。データは通信回線を介して氏が設立したARC(Augmentation Research Center)とつながっていた。
ここまで説明して尚且つYoutubeを見ても驚かないかも知れないが、それまでのコンピュータは小さな穴の空いた紙テープが巨大なマシンから出力されるようなものだったのである(昔の映画などで見覚えのある方いるでしょう)。それが一気に今日的な形になったのは驚異的なのだ。いまでは当たり前にマウスを使っているが、初めに思いつくことは非常に難しい。
先にも述べたがエンゲルバート氏のコンピュータにはアイコンやマルチウインドウシステムはなかった。それらを開発したのはアラン・ケイ氏である。アラン・ケイ氏はユタ大学で元二代目ARPAのITPO部長サザーランド氏(この人も現代のタブレット端末に通じるような機械を発明した偉大な人だが詳述は省く)からコンピュータを学び、”Mother of Demo”に聴衆として参加し衝撃を受けた一人だ。アラン・ケイ氏がパソコンの父だから、さしずめエンゲルバート氏はパソコンの祖父なのである(筆者命名)。
ところが、エンゲルバート氏とアラン・ケイ氏の設計思想は180度といっていいくらい異なる。アラン・ケイ氏は後にダイナブックを開発するように、個人所有のコンピュータを構想していた。また、ユーザインタフェースは子供でも扱えることを目指していた。それがアイコンをクリックするとファイルが開くユーザインタフェースとして実現する。アラン・ケイ氏の開発したオブジェクト指向はそのために開発されたものだ。アラン・ケイ氏の設計思想はスティーブ・ジョブス氏に受け継がれ今日のiPhoneやiPadに繋がる。アップルの製品が一貫して薄っぺらいマニュアルで、とにかく触って操作を覚えてもらうことにしているのは、子供でも使えるというアラン・ケイ氏の設計思想から引き継がれているのだ。
いつの間にか、エンゲルバート氏ではなくアラン・ケイ氏の話になってしまったが、エンゲルバート氏の設計思想は、氏の論文「人類の知性の増強: 概念的フレームワーク(Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework()」にあるように、高度な訓練を受けた人間がコンピュータを操作することを前提としていた。まずこの点で子供でも使えるコンピュータというアラン・ケイ氏の設計思想とは異なる。また、エンゲルバート氏は個人所有のコンピュータなど考えておらず、大型コンピュータによる集中処理型のアーキテクチャを想定しており、個人所有のコンピュータにはむしろ否定的だった。
しかし趨勢は当時のアメリカのカウンターカルチャーブームと同期し個人向けコンピュータの方向に移行していくことになる。エンゲルバート氏は”Mother of Demo”をピークとしてその後ほとんど注目されなくなってしまう。しかし、そののちチューリング賞を受賞しているように、氏の功績が偉大であることには変わりはない。
享年88歳だったというから大往生である。合掌。
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